アルティマの歴史

1983年から1991年

Ultimaの起源からアルティマMk3のデビューまで

自動車エンジニアとして高く評価されていたLee Nobleが、Noble Motorsport Ltdを設立しアルティマMk1を発表しました。
 
アルティマMk1はスクエアチューブスペースフレームシャーシ、フォード コルティナのフロントアップライト/ブレーキ/ステアリング、オースチン プリンセスのラジエーター、そして、ルノーのフロントアップライト/ブレーキをリアに装備していました。動力源のV6エンジンとトランスミッションはルノー30のものを使用していました。

マクラーレンコネクション

Ultimaが伝説のF1開発でMcLarenを支援

McLarenはアルティマMk2 / 3の優れたエンジニアリング、抜群のスピード、ラップタイム、そしてレーシングパワーに魅了されました。この2台の車は、世界で最も高価で権威のあるロードカー、McLaren F1のプロトタイプとして使用されました。


Noble Motorsport Ltdは、同社が販売した13台のアルティマMk3のうち12番と13番のシャーシを供給しました。McLaren GroupによってAlbertと名付けられた12番シャーシは、Chevrolet V8エンジンとギアボックスをテストするために使用されました。Edwardの名で呼ばれた13番シャーシは、排気・冷却システムとBMWが設計したV12エンジンをテストするために使用されました。


AlbertとEdwardは後に天の双子として知られるようになり、独自のバッジデザインを与えられたことからも分かるように、McLaren F1の開発に大いに貢献しました。

1992年から1998年

Ultima SportsとUltima Spyderの開発

Ted Marlowは、Noble Motorsport LtdからアルティマMk2とアルティマMk3の権利、ジグ、および金型を購入します。Lee Nobleが所有していた1983年から1992年の間のUltimaの売上は26台で、このうち13台はMk3キットでした。

この取引をキッカケに、Lee NobleのUltima開発への関与が終わり、ウォリックシャーのロング・イッチントンに拠点を置くアルティマスポーツ社が、Ted MarlowとRichard Marlowによって結成されました。

アルティマスポーツ社の目標は、自動車の構成部品を徹底的に再検証し、並外れた品質とパフォーマンスを持つスーパーカーを手頃な価格で製造することでした。

この新たな試みによって生み出されたのが、アルティマSportsとアルティマSpyderです。

1998年から2000年

Ultima GTRの開発

アルティマSportsで得られたデータから、新世代のアルティマGTRの開発がスタートします。

設計変更は、空力改善によるダウンフォースの増加、エンジニアリングの完全性向上、最新規制への対応、およびアルティマSportsを上回る構造のシンプル化に焦点を当てて行われました。

大胆な設計変更に伴って数々の障壁が生まれたものの、アルティマGTRの組み立て可能なスーパーカーというパッケージングは、卓越したエンジニアリングを証明するとともに、ライトウェイトスーパーカーという新しい市場を切り拓くことに成功しました。

2000年から2013年

アルティマCan-Amの開発とアルティマGTRでの世界記録樹立

アルティマGTRが数々の世界記録を樹立するなか、アルティマCan-Amの開発がスタートします。

アルティマGTRと同様に、ダウンフォースの増加、エンジニアリングの完全性向上、最新規制への対応、およびアルティマSpyderを上回る構造のシンプル化に焦点を当てて行われました。

アルティマSpyderの最大の特徴は、専用設計のウィンドスクリーンによるオープンドライブ体験です。

2013年から2018年

アルティマEVO CoupeとConvertibleの開発

アルティマGTRとアルティマCan-Amに代わる新しいモデルを生産するため、2014年1月からプロジェクトがスタートしました。

このプロジェクトは、より近代化されたスーパーカーを製造することを目的としていました。アルティマでしか得られない体験をさらに洗練させるため、日常での実用性、こだわり抜いた仕上げ、品質、安全性、ドライバーの快適性、そしてパフォーマンスがこれまで以上に向上しました。

2019年

アルティマRSの登場

「最も速く、最も洗練されたアルティマ。」

2019年、35年に渡る華々しい伝説の集大成として開発されたアルティマRSが登場します。

アルティマRSはアルティマ社の代表Richard Marlowの発案によるもので、業界でも有数の優れた才能と熟練したチームワークのコラボレーションによって生まれました。